くらしのうみ

書くのが好きな人の、たいしたことない大事な日々と人生。

スタバでおやつの時間を

今週のお題「わたしの贅沢」

 

 

 

スターバックスでパンプキンスープチーノと紅はるかと安納芋の焼き蜜芋ケーキを食べてきました。

スープは食事系でやわらかな塩気と口あたり、ケーキはねっとりと甘く、どちらも最高でした。

このところ自他に余裕がなく色々と頓着する気力もなく、とりあえず生活と生命を維持すべく腹にたまるものを口に入れて生きてた感じだったので、こういう綺麗な場所で丁寧な食べ物を楽しむこと自体がものすごくひさびさでした。

これこそが本来の自分にとっての贅沢、といえる時間と文化のいとなみをようやく少し手元に取り戻せた気がしてホッとしました。

そうだ、わたしはスタバが好きだった。

 

たしかNANAの奈々の台詞だったか心の声だったと思うんですけど、

『コーヒーなら自販機で110円で買える。でも私はおしゃれなカフェでお茶をするのが好き。そのためにがんばるんだって思えばいいじゃない』

とあったのを思い出しました。

ただ飲んで食べるだけならその辺で買ってこればいい。でも自分は暮らしを楽しみたい。そのために為すべきことを成したい。

贅沢というのは励みであり生きる糧なのかもしれないな、と十数年越しにふと感じたりしたのでした。

 

 

テルがメジャーへ行ってまう

佐藤輝明は、アスリートっぽくない男だ。
いい意味でギラついていない。
結果を出しても調子に乗ったり偉ぶったりしてるのを見たことがない。
格好もつけない。気負ったりもしない。
打ててなくても縮こまったりしない。卑屈にもならない。
感情をむきだしでプレーする森下翔太とも、淡々と背中で語る大山悠輔とも違う。
いつでもマイペースで自然体。
優しくて素直で、気のいい兄ちゃんで、ちょっと今までに見たことのないタイプのスポーツマンだった。
心のありかたが唯一無二だ。

テルは阪神タイガースのリーグ優勝への貢献と三冠王の夢を成し遂げて、球団の許しを得て、いよいよ海を渡るという。
みんながテルの船出を祝福し、別れを惜しんでいる。
ベテランのブルペンリーダー岩崎優でさえ「来年も一緒にやりたかった」と言っている。
彼は多くを語らずに快く送り出す男だから、ちょっとめずらしいなと感じた。
ところで自分は岩崎優が好きだ。
わたしは心が弱いから、静かでひたむきに強いあの人をとても尊敬している。
テルの強さ、ぜんぜん種類は違うけどザキさんに通じるものがあったのかもしれない。
だから意外とこんなに淋しいのかもしれない。

来年からメジャーかあ。
そういうものだってわかってるけど、そうなるとわかってたけど、やっぱり淋しい。
本当にいい子でいいやつだったから来年からいなくなるのが淋しいよ。
こんな気持ちは初めてだ。
単なる野球ファンの自分がこう思うくらいだから本物の虎党、チームメイトたちの気持ちは想像もつかない。
いわゆるコア5、タイガース誇りの1〜5番打線が大好きだった。
来年から4番には別の人が坐ることとなる。
森下くんか大山さんか。それともこれから新しく獲得する人か。
そしたらどっちかのかわりに誰かが坐る。
野球ってそういうスポーツだし、球団とはそういうものだ。
淋しいけど未来があるな。
ずっと未来へ向かって進んでる。
いい未来だといいな。
今年はほんとにみんな満身創痍だったから。最後までよく戦い抜いたと拍手を贈りたい。

(※文中敬称略)

 

 

Life Goes On

わりと切実に、家と家族が限界だ。
自分にもだめな部分はあるしお互いさまだと思ってきたから何も言えなかったし、言わなかった。
一緒にやっていくためには黙ってやりすごすしかないと。
でも、嫌なものは嫌だし、だめなものはだめだ。心がそう言ってる。
ある日ふと「もういいや」と思えた。
ずっと雑に扱われてきたし、これ以上優しさや気遣いを浪費するのは割に合わないと気づいた。

不機嫌で何も話さない、何の説明もせず、好き勝手にふるまう人。
人の話を聞かずに自分のことばかり、酒に酔って話ができなくなる人。
あの人たちと一緒にいるのがしんどい。暮らしがつらい。
でも、置いて出てはいけない。
わたしはこの先、この人たちをシバかず、シバかれずに生きていられるだろうか。
近頃はそんなことばかりを考えていた。

はっきりわかった。「そういうところ」が嫌いだ。もう好きではいられない。
家族だからとすべて赦して、ぜんぶ愛していられる時間はとうに過ぎた。
ひとりひとりが大人だからそりゃあいいところも悪いところもあって、何もかもがハッピーになんてできるわけがない。
数年前まではわりとそうだったんだけどな。何もかもが楽で楽しかったのに。
だけど人は変わるから、今はだめな方向へ行ってるところなんだろう。
わたしたちは沈みかけの船から降りられないだめな人たちだ。
すいすい進まなくてもいいから、沈まずそこそこに浮かんでるところでキープしたいよな。家族みんなで沈んだら悲惨やぞ。

ぜんぶは愛せないし、すべてを嫌いにもなれない。
捨ててはいけないし、かといって奴隷にもなりきれない。
めんどくさいな。だけど自分がやってきた人生だ。
むり、きらい、と思ってはいけないと思い込んでいた。
でも無理だし嫌いだもん「そういうところ」が。
だから何もかも嫌にならないところで手を打とう、と割り切れたのは人生の転機なのかもなあ。
二週分のウリッコ読んでて「終わらないから食べるんじゃん」「Life Goes On(人生はつづいていく)」のところで「そうだよなあ」と何もかもが納得に変わった。

 

comic-days.com

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灯台のひと

「登れる灯台」の話を訊いて、それならば春か夏に青春18きっぷで潮岬へ行きたいなと思いたった。
そのときにふと思い出した。
前に好きだった人が、灯台を愛する人だったと。

とあるスポーツを好きで観戦と応援に明け暮れていた頃にSNSで出会ったひとり。
心のありかたが似ていて、なによりおだやかで優しい心根の彼女に親近感を抱いていた。
何度か「現地」で会ったことがあり、話をしていても「合うな」と感じた。
価値観も、ものの好きかたも、人づきあいのしかたも、言葉の選びかたも。
たぶん向こうも同じことを感じてくれていたのだと思う。
多くは語らなくても通じあう仲だった。

あの人とは親友になりたかった。
けど、ならなかった。ならないことを選んだ。なりたかったけれど。
SNSでの友情は成立するとは思う。
けれども、趣味のコミュニティでは趣味の話をしないと間がもたない。
どれだけ親密に趣味をわかちあおうとも、人生や暮らしを介在させるには心許ない縁だ。
わたしはあの人がどんな仕事や生活をしているのかまでは知らなかった。
逆もそう。私生活がわかるような発信をほとんどしていなかった。
そうすべきでないという考えかただったし、幻滅されることも怖かった。
そういうところも似ていて信頼できた。関係性を深めてもうまくいったのだろうとは思う。
そうしなかったのはきっとお互いに「一歩引いた」からだ。
SNSはあまりに人と人を親密にしすぎる。
生身よりも心が先に近くなってしまう。そういうつきあいが怖かった。
趣味をとりあげられたわたしは空っぽだった。何も誇れるものもなく、肩書きもなく、平均以下の中年女でしかなかった。
今にして思えば趣味に依存していた。
趣味を抜きにして、趣味でつながった好きな人と対等につきあえる自信がなかった。
自分をさらけだし人に心を開くことから逃げた。
あの時に勇気を出していればほんの少し人生が変わっていたのかもしれない。
それができなかったのが自分で、だからわたしは今という時を生きている。

わたしはいまのコミュニティでも友だちは作らないと思う。
さらに年齢を重ねたこともあるし、趣味とSNSは暮らしと分けたい。
どちらもとるとわたしは趣味とSNSを暮らしに引っ張ってきてぐちゃぐちゃになってしまう。
もう、わかるのだ。自分のことだから。
ただただ趣味の話をし、作品を投稿し、自分のことはほとんど話さない。
それでうまくいっている。
今のところ、あの灯台のひとのように「合う」相手とは幸か不幸か出会えていない。
もちろんつながっているのはみんないい人たちなんだけどライフスタイルが違いすぎるし、わたしはずっと「謎の人」でいいかなと思っている。
オフ会に出ることもないし、「現地」があるジャンルでもない。
いや、来年のオーケストラコンサートのチケットが当選したらそこが「現場」になりうるのか。
まあ、その時になったら考えよう。

 

 

風呂あがりにダイキュリーアイス

きのう髪を切った。
かなり思いきった断髪式だった。
もともと短かったのが美容院行きをサボって伸びっぱなしになっていたのをまた短くしてもらっただけ。
耳を出して、前髪は眉の上で、後ろはちょっと刈りあげる。
こう言ったらこうなるだろうなという勢いでハサミを入れられているうちに「さすがに言いすぎたわ」と我に返ったものの「ええい、ままよ」と口をつぐんだ。
どうせならとことんまで短くなればいいのだ。
長さも量も半減したといっても過言じゃない。
過去最高に短くなった。記録を更新中だ。
髪を切った後というのはたとえどんな自分になろうとも「やってしまったもんはしゃーない」と肚を括って納得するしかない。人生の選択に似ている。

頭が軽くなったら次は風呂だ。
きょうの朝、銭湯へ行った。
いつものあつ湯が夏期限定のぬるま湯になっていたためルーティンとしている擬似サウナはできなかった。
けど広々とした湯船に浸かる至福の時間には600円を支払うだけの価値がありあまるほどにあり、銭湯の存在を思い出したことでようやく元の豊かな暮らしが戻ってきたのだなあとしみじみした。
このところはちょっといろいろあって「それどころじゃなかった」のだ。

そうしているうちに周回遅れの夏がやってきたような気がして、とにもかくにもアイスクリームが食べたくなった。
スーパーやコンビニで買うやつじゃない。アイスクリーム屋さんのアイスだ。
フードコートのサーティワンに初めて並んだ。
通りすぎるたびに「食べてみたいなあ」と思いながらもなかなか勇気が出なかった。口頭で頼むのもなんとなくハードルが高かったのだ。
しかし今は風呂あがりという大義名分があり、かねてより気になっていたダイキュリーアイスをカップで頼んだ。
わたしはいつも遅れに遅れて流行をかぎつけるので危うくこの夏を逃すところだった。


薄い水色のアイスクリームは見た目からして清涼感にあふれている。
「ラムとライムの味だ」と聞いていたとおり、ほんとうにラムとライムで見た目と味の情報がしばらく一致しない。それが妙に楽しかった。
なるほど、たしかに梅が好きなら好きな味だなあ。わたしは好き。
ねっとりとしたアイスをスプーンで掬ってはかみしめるよう口に入れながらサーティワンのアプリをダウンロードした。
来月までのクーポンをもらったことで夏がちょっと延びた感じがする。
今夏はしんどいことだらけだったから、また来ておいしいアイスで締めくくろうじゃないか。
次は王道のポッピングシャワーにしよう。