くらしのうみ

書くのが好きな人の、たいしたことない大事な日々と人生。

優しさと雑さと、サラ王女と

「なんか最近みんな、わたしに対して雑ちゃう?」と感じる。
みんなといっても同居してる家族くらいしかいないんだけど。
こっちがしてることを当たり前に受けとられてて、こっちは何もしてもらえない。
家事とか。ちょっとした気遣いとか。優しさとか。
損得ではかるつもりはないけどフェアじゃないよなあとは思う。
生活はずっとつづくんだ。長ければ長いほどバランスは崩れていく。
それで近頃はちょっと疲れてきたのかも。
家がしんどい。家族がしんどい。
家を出るという選択肢はない。出たところですぐ戻ってくることになるだろうし。
ここで無理なくやっていくには考えなおさなきゃいけないのかも。
でないとわたしがつぶれる。
わたしがつぶれたら……
いや、やめとこ。
いま熱心にすすめてるゲームにいる「家と家族につぶされた女の子」のことを最近よく考えてて、それでなんだか自分のほうにも波及したのかも。

 

今年三十周年を迎えた不朽の名作「クロノ・トリガー」にサラという十代半ばくらいの女の子がいる。
物語中盤の舞台になる魔法王国の王女で、優しくて家族想いの素敵な女の子だ。
物語のキーになる強大なエネルギーを引き出す能力の持ち主で、それゆえ国全体をあげて利用されている。
みんな彼女を尊敬し、ありがたがり、褒めそやすのだけど、彼女はぜんぜん幸せそうではない。
彼女の母である女王が力に溺れて狂ってしまったからだ。
女王はすでに人の心をなくしていて、家臣はおろか、実の娘に対しても冷たく当たる。
もはや娘さえも力を引き出すための道具としてしか見ていないのだ。
サラはほんの少し前までは優しかった母のことを見捨てられず、この力はよからぬものだと薄々わかっていながらも母に逆らえずにいる。
良心と母への愛との板挟みに苦しんでいる。
あんまり俗っぽい言い方をファンタジーに落とし込みたくはないのだけど、今で言うところの「毒親と娘」の構図だろうか。
こんな状況にあってもサラは誰にでも分け隔てなく優しく、たくさんの人を助けるが、サラを助けてくれる人は誰もいなかった。
父王はすでにこの世になく、頼りになる大人も「この力あぶないからラヴォス計画もうやめようぜ」と女王に意見して更迭されたり、それを見てやばいと感じて亡命したりした(※マイルドな表現にしています)。
周りには野心を持ったろくでもないやつと、何もしないが言いたいことは言うそれはそうと恩恵は受けとる人たち、心配はしてくれるけど女王には逆らえないよ!という人たちしか残っていなかった。
ほんとうにひどい。
こんなにも大人がそろっていながら、誰もこの守られるべき少女を救わなかっただなんて。
孤独なサラの唯一の心の拠りどころは、幼い弟ただひとりだけだった。
弟のジャキだけはサラを本気で慕い、変わりはてた母に憤り、姉の窮地にたったひとりで立ち向かい駆けつけるのだった。
狂った母を憎み、人を不幸にする力を嫌い、他者に心を閉ざしたジャキの拠りどころもまた最愛の姉ただひとりだけだったのだ……

 

とまあゲームの話を長々としましたけれど、わたしはサラとジャキ姉弟が三十年前から大好きでして、スマホクロノ・トリガーを再プレイするうちにうっかりと往年の愛が再燃した次第でございます。
で歳をとって感じ方もちょっと変わったのです。
サラは優しすぎたから雑に扱われた、とも受けとれるなあと。
じゃあサラはどっかでキレたらよかったのか?
もうや〜めた! ってできたらどれだけよかったか。
だけどサラにもあの世界に暮らしと人生があったから、そうそう何もかも投げ出すわけにはいかない。
なんせ母と弟を人質にとられてる状態だ。むりだよ。
愛の力でなんとかならんかったんか。
愛だけでは問題は解決しないよ。これは真理だよ。
愛は無限に与えられるものではないし、愛そのものが力を持ってるわけでもないんだ。
人と人は関わりあって、話しあわなければ。それができるうちにね。

わたしも母と弟と暮らしている。
優しくしすぎかな、と思いはじめている。
優しくするということは、優しくされたいということだ。
なので正直いまの状態は淋しい。
サラも淋しかったのだろう。
ifの世界でもなんでもいいのでジャキにはサラを救ってほしい。側にいて優しくしてあげてほしい。*1
彼女らの地獄と重ねるだなんておこがましいが、考えるきっかけにするくらいならいいだろう。
わたしはずっとゲームに生きる力をもらってきたのだから。

 

 

 

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*1:三十年前の作品にネタバレも何もないとは思うんだけど、「サラの弟ジャキのその後の人生」はクロノ・トリガーをプレイする誰もが避けては通れない物語の核となっているので興味ある方はぜひその目で確かめられたし。なんなら裏の主人公まである。もちろんヒロインはサラ。

おとなの遠足つづき。正倉院正倉をもって旅を閉じる。

先週のおはなし 

towa-ashita.hatenablog.com

 

あれから家に帰って正倉院展関連のつぶやきを眺めていると、かつてあの宝物たちをおさめていた校倉造の正倉(今は別の現代的な施設に移されてるみたい)が三連休中に特別公開される、と知る。

この遠足。宝物庫を見てこそ完結するのではないか?

正倉院正倉、ぜひともこの目で見たい。

生きてるうちに次があるとは限らない。なんせ前に公開されたときは明治だったらしいし。

というわけで奈良へ行ってきた。六日ぶり二度目。

 

近鉄奈良駅から徒歩三十分くらい。東大寺らへんからもうちょっと歩く。

問題なく歩いていける距離である。もし母と一緒ならバスに乗っただろうけど。

もちろん母も誘ったが丁重に辞退された。先週の旅行でさすがに疲れたみたい。それもそうか。

 

ひとりなのをいいことに景色の良さそうな道をうろうろしながら向かった。

予約も要らないマイペースな散歩だ。

奈良公園の手前を抜けると人もまばらになって、脇道へ入ると次第にのどかな景色が目に入るようになる。

これだよ、これが奈良だよ。

 

小一時間くらい歩いただろうか。

見えてきた。

宮内庁!!

 

簡単な手荷物検査をして進むといよいよ目の前に……

 

人いっぱい!!

想像以上に大きいし、床がとても高い。

組んでるところ好き。

歴史を感じる。こうやっていたみながらもかたちに残るのだ。木はすごい。

下に潜ることはできなかったけれど、向こう側に人の映らない箇所があって、そこからじっくりと見られた。高い。太い。美しい。

日差しを浴びて。

宝物庫なのでちゃんとお堀もある。

帰り際にふりかえってもう一度全体を。

 

 

 

 

急ぐ旅ではないので興福寺国宝館に立ち寄った。

前々から阿修羅像を見てみたかったのだ。

 

感銘を受けたので、たくさんあるうちの「いちばん好きなお顔だな」と感じたポストカードを買って帰った。

どうして阿修羅像はあんな表情をしているのだろう?

怒りと戦いの神の顔ではない。

怒りがおさまり戦いが終わったあとの表情なんだろうか。

悟りを開いたからあの顔なのだろうか。

それとも生きている限り命題はつづき、迷い苦しみからはどうあっても逃れられないから、あんなにも憂いと慈悲を感じさせる眉と目で心をあらわしているのだろうか。

わたしは凡人で俗人なのでちゃんとしたことはわからないし言えないが、深く胸を打たれたことだけは確かだった。

 

 

 

どこも混んでそうだったので、まえだのドーナツでふたつほどテイクアウトして帰りの駅へと向かう。

焼きたてのネイチャードーナツを手渡してくれた。あまりにおいしそうでつい立ち止まって口の中に入れてしまった。すっかりと空腹を忘れていたことを思い出した。

趣味や好きなことにのめり込んでいるときはよくご飯を食べるのを忘れていた。ひさしぶりの感覚だった。

 

遠足が無事終わったから家に帰る。

帰ったら暮らしが待っている。

いまのいろいろに思うところがないわけではないかれど、生きることからは逃れられないので何とかこうやって楽しみや没頭できること、素敵なものたちとの出会いをちょっとずつ散りばめなら生き延ばしていくんだろう。

阿修羅像だってあんな顔をしているじゃないか。

そう思えばなんとなく肚が据わってくるというものだ。

 

 

 

 

母娘おとなの遠足、伊勢・奈良旅へ

「今度は秋に旅行しよう!」

万博から帰ったその後、出不精の母がちょっと積極的になった。

実際に外へ出て本物を見て聞いて触れることの楽しさを思い出したみたい。

なのでこの旅は暑い頃から計画してた。

最初のうちは海のそばの旅館で「なんにもしない」をしに行くだけの予定だったのが、やりたいことぜんぶつめこんでかなり欲張りな旅になった。

 

ハルカス300

最初の目的地に近いので立ち寄った。

わたしも初めて上まで行った。高いところすき。

夢洲らへん。けっこう一生懸命探したものの、万博会場と大屋根リングは見えなかった。

もっとスッキリ晴れてるか、開催中の夜に煌々と輝いている姿ならちょっとは見えたんだろうか。

 

 

イタリア館・天空のアトラス展@大阪市立美術館

万博へ行った時は暑さと体調を考慮して並ぶのをあきらめたから(ちなみにわたしは後日ひとりで入った。で、これは母も見るべきだし見せたい! と強く思った)、ずっと見たがっていた母を連れてこられてよかった。

ロッピーでチケット買った後の来場予約がさながら万博のパビリオン予約状態であせった。

初見殺しすぎる……

アトラス、何度見ても雄々しい。

ステンドグラスに目を奪われる。

美術館というのはその名のとおり美しいところですね。

 

 

伊勢・二見浦にて投宿

旅先に伊勢を選んでお伊勢参りをしないという謎の旅である(ちょうど十数年前に家族旅行で来た宿を選んだ。その時はお参りしたので今回はパスした)。

早々に夕食を済ませた後は持ち込んだ酒とアテで日本シリーズを観る酔っぱらいふたり。漁場のおいなりさんおいしいね。

阪神タイガースは序盤から福岡ソフトバンクホークスの厚い打線に蹂躙されてしまったので、気分転換に離脱して風呂に入りに行った。風呂から帰ってきても形勢かわらず。そんな時もあるさ。

 

 

二見興玉神社で日の出を拝む

「無事かえる」の神社。海のそばの境内にはかえるがいっぱい。

ゆうべの雨の名残りが空に虹をかけた。

日が昇る。

雲の下の海が赤く染まっていた。

美しい朝の時間。

快晴の青。

 

宿に戻って朝ごはん。以前と変わらぬメニューでおいしい。

おぼろ豆腐に薬味を混ぜて食べる。家でもやってみたい。

 

 

鶴橋で寄り道。韓国冷麺を食べる

ただ乗り換えるだけじゃあもったいない。

ビビンバと冷麺に舌鼓を打ち、鶴橋商店街で晩ごはんを調達。

キムチとキンパとニラチヂミを買った。有名店だったと思われる。ほんとうにおいしかった。また買いに行く。

 

 

正倉院展@奈良国立博物館

鶴橋から近鉄奈良へ。

奈良公園は日本人よりも、鹿よりも、外国人観光客のほうが多い。

なんでや? みんな鹿を見に来てるのか???

知らぬまに奈良もすっかりとにぎやかな街になってしまった。人が増えるのはいいことだけれども。

ここに流れるのんびりとした時間と空間が好きだったのだけれども。

平日なのに盛況していた。

ここもやはり来場予約が必要で、わりと早く動いた甲斐あって運良く午後にとれたのだった。

今年の目玉は瑠璃坏蘭奢待。お目にかかれて光栄です。

あと螺鈿をたくさん見られたのが嬉しかった。今回わかったことだけれど、わたしは螺鈿が好きだ。

ちなみに螺鈿というものを初めて知ったのはファイナルファンタジータクティクスの武器「塵地螺鈿飾剣(ちりぢらでんかざりつるぎ)」からだ。

ああ、ゲームや漫画が教養に深く関わっている我が人生。

正倉院展はグッズがどれもよかった。

螺鈿背円鏡のステッカーはぜったいにほしかった。あとでスマホケースにはさむ。

 

時間が許せば興福寺の阿修羅像も見たかったのだけど、正倉院展の展示物の点数が思いのほか多く、じっくり見てきたので残念ながら時間切れ。

 

お土産に柿の葉寿司を買って電車に乗り込む。

「母の行きたい場所ぜんぶ行く!」を全力でフォローできて大満足。

くたくたにさせてしまったかな? と心配だったけれど楽しかったのが勝ったみたいで胸を撫でおろす。

わたしはほんとうはずっとこんな親孝行がしたかったんだ!

 

 

 

後日談かきました。

towa-ashita.hatenablog.com

 

 

 

金木犀テレパシー

今夜、阪神タイガースが負けた。ソフトバンクホークスに負けた。

日本一になれたら最高だな。日本シリーズへ来られてよかったな。

くらいの熱量で観ていたつもりだったのだけど、なんともやきもきするゲームがつづき、もったいなかったなあと思うにつけ、試合が終わった後から悔しさがどんどん押し寄せてきたのだった。

「あと一本」が遠かった。相手は本塁打を打って勝った。完敗だった。

やはり本塁打……

力が拮抗するもの同士の対決はやはり本塁打を打てるほうが勝つ……

出んかったもんはしゃーない。誰も悪くない。むしろよかった。だから胸を張ってほしい。

ただ、相手がもっと強かった。

どうにもこうにもじっとしていられなくなり、このまま寝られる気もせず、たまらず家を飛び出し自転車に乗ってそこらをぐるっとまわってきた。

わたしの好きな夜の湿ったような匂いに、甘く濃厚な香りが混じっている。

金木犀が満開だった。夜目でもわかるくらいに。

今年は遅咲きだった。きのうきょうあたりで一斉に開花したらしい。

金木犀たちは、なにかテレパシーみたいな合図でつながってるのかもしれないなあ。

好きな匂いと香りに肺を満たされるうちに心は鎮まり、「まあ日記でも書いてみるか」という気持ちになったのでさっさと帰ってきた。

今年のプロ野球、終わっちゃったな。

じゃあ次は来月から始まるシクロクロスのワールドカップだな。

でもその前に優勝パレードがある。

目下の楽しみでちょっとずつ生き延ばしてるみたいだ。

 

 

 

 

母の救いはどこにある「歌舞伎町カラオケ店員としくにさん」

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歌舞伎町の某カラオケ店にやってくるお客さんのお話し。
場所柄か、いろんな事情を抱えたお客さんがいろんな闇や思惑や苦しみを抱えながらもいっときの解放を求めて歌いにくる。
としくにさんはそこの店員で、人の心の機微がわかる強くて優しい女性だ。
そして強面で、なおかつ顔にでっかい傷がある。
なぜそんな目立つ傷があるかはただちに判明する。
いきなりだけど、この一話完結オムニバス、どれも救いがない。
一瞬解放されはするものの、誰もが真に救われることはない。
いや少なくとも心は救われたのかもしれないがオチとしてはみんなとんでもなく後味の悪いバッドエンドだ。
最たる人はとしくにさん本人だろう。
としくにさんの娘はこの世になく、もう帰ってこないのだから。
今のところ救いがないし、真相も分かっていない。
どうやら被害者たる彼女はあらぬ疑いをかけられているらしい、というところで話は止まっている。単行本作業とのこと。ありがたいありがたい。


何のためにこんなにも重たい話が淡々と描かれつづけているのか。
「喪服のサイズが変わる前に」を描いた作者だ。単なるオムニバスじゃない。必ず何か伝えたい意図があるはず。
「胸くそ」「現代社会の闇」「風刺」以外の意図が。
最後にきっと描かれるであろう「それ」を知りたい。
すべての真相が明らかになったとき、「救ってきた」としくにさんはどのように「救われる」か。
それともやっぱり救いはないのだろうか。あるいは思いもよらぬ真相が暴かれるのだろうか。


ちなみに最初に書くべきことだけれど、まごうことなき「重たい」「闇」「バッドエンド」な作品集ではあるのだけど不思議と読み味は軽く、「うっわあ〜〜〜……」となりつつも心と頭にスッと情報が入ってくる。漫画がとてもうまいのだ。
あと、としくにさんの焼きそばがおいしそう。

 

 

 

 

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