くらしのうみ

書くのが好きな人の、たいしたことない大事な日々と人生。

楽しいこと集め

休日。そわそわしている。

やっぱり早くに目が覚めた。朝風呂に入りにいつもの銭湯へ行く。

月のものが来たり忙しかったりでひと月くらい行けていなかった。

そのあいだに季節は移ろっていて、前よりお風呂のお湯が熱いなと感じた。あたたまるのも早く、湯冷めするのも早い。

水風呂と外気浴でこごえる。今からこんな感じだと真冬はどうなるんだろう。

体は冷やさなくてもいいってなるかな。それかもう銭湯へ行くために外へ出るの自体が億劫になってしまうかな。

いやたぶん通うのは通う。うんと寒くなったときの銭湯通いがどんな感じになるのか、今から楽しみだ。

 

きのうは仕事帰りに無印良品で買い物をした。良品週間が始まると知って買いたいものをピックアップしていた。冬支度と旅行の準備だ。

カットソーとショーツと、リフィルを取り替えられる繰り出し式のアイブロウペンシル、おやつを少し。

あすけんのおねえさんに「フルーツを摂って」としばしば言われているので「じゃあチョコがけりんごでも」と意気込んで行ったものの、件のポムショコラが思ったより高かったのでナッツ&ドライフルーツで手を打った。ヨーグルトチョコレートが入ってるやつ。

生の果物は高い。干してても高い。でもスナック菓子はもう選ばなくなった。進歩かもしれない。

 

明日はいよいよ母との旅行だ。

朝から電話で送迎のお願いをしたり、その時に宿の方から周りの飲食店は早く閉まりますよ〜食べてきたほうがいいかも〜と親切に教えていただいたので予定を変更してお店を予約したり、経路と立ち寄るスポットの概要をあらためて確認したり、荷造りをしたり。

着ていく服も決まった。美術館が準メインなのできれいめでいく。

朝から雨が降るのがあいにくだけど、雨は雨でいいものだ。夕方にはあがって次の日は晴れそう。せっかく海へ行くのだから一瞬でも晴れ間がほしかった。だから充分。

 

これから夕食をぱぱっと作って、食べながら日本シリーズの初戦を観る。

プロ野球今年最後の戦いだ。ついに終わるのか。淋しいな。はじまる前からそんなことを考える。だからこそ思いっきり楽しもう。

楽しいことがいっぱいあって嬉しい。

でもこれぜんぶ自分で集めたんだよ。そう思ってもいいだろう。わたしは楽しいこと集めのプロだ。

 

 

大人だから、言わないだけだよ

母はいつも弟の心配をしている。いまだにあれこれ口を出す。

末っ子の弟は親元を離れて家を出たことがない。

そのためいつまでもどこか子どものままで、母はそんな息子にイライラもし、心配であり、だけどかわいいのだろう。

週末の旅行の話をしていたときにふと、今出張へ行って家を空けている弟の話になった。

「いくら心配して口を出しても、あの子は何も聞く耳を持たない。」

母は言う。いったい何度聞いた言葉だろう。

「いつまでもお母さんからこんなに心配されて、いっぱい口を出してもらえる◯◯(名前)がわたしは子どもの頃からずっとうらやましかったよ。」

気がついたらわたしは言っていた。

えええぇ! そうだったのか! 初耳やで! しらんかったわ!!

わたしは母にあんなにも心配されたり、あれこれ口出しされたことがない。

手のかからない子どもだった。母子家庭で裕福ではなかったので、今でいうところのヤングケアラーでもあった。

物心ついたときから、母から頼りにされていた自負がある。

だからよ。

母いわくわたしが「ちゃんとできてるから」「言う必要がなかったから」で、まあそうされることは大人として人間としては恥ずかしいことだし、親からいちいちあれこれ言われたらわたしだったら「大人やで!」って嫌になる。

だから別に母が弟をかまってようが一向にかまわないし、今さら「わたしを心配して! もっとかまって!」みたいな気持ちも一切ない。

でもふと「親の愛情と関わりが必要な子どもにとっては不公平だったよなあ」と、子どものわたしがひょっこりと出てきたのだった。自分でもびっくりだよ!

「百人遊女」でもあったな、そんな話。

他人の世話もできる自立した男が本当に欲したものは母からの愛で、だけど母は自分を褒めて誇りにはするけど出来が悪く人に迷惑ばかりかける末っ子ばかりを気にかけている。

男が母のために尽力しようが贈り物や差し入れをしようが勿体ないの一点張りで、しまいには「あたしにかける金があるなら、あの子にお店(たな)のひとつでも持たせてやっておくれでないかい。あたしはあの子だけが気がかりで死ぬに死ねないよ……」とか言っちゃうんだ。

男は母の願いを聞き入れたあと、ひとり号泣する。「ああ自分は本当は母ちゃんに愛されたかった。でもそれは叶わなかった。想われたい人に想われないことがこんなにも悲しいなんて!」と。

 

 

なんとなく、その話を思い出した夜だった。

男女や色事だけでなく人間とのかかわりや人生のお話がオムニバスでいっぱいつまっているよ。おすすめです。上記の母から望む愛を得られなかった男の話もちゃんとハッピーエンドだよ。よかったら読んでみてね。

わたしの人生はハッピーだろうか。

白でも黒でもない、グレーだ。

ハッピーじゃなくても、生きてるから生きるんだよ。自分でハッピーにするんだよ。大人だから。

母はわたしを愛しているし、わたしも母を愛している。

お互いにそのかたちがちょっとちがうだけだ。

まあ大人なら言わないよね、というだけのことさ。

 

 

 

ゆたか、おもい、かるい

クロノ・トリガー三十周年オーケストラコンサートのプレイガイド抽選に外れた。
外れたあ! なんの根拠もなく当たるつもりでいたけどほんとに落ちるんだあ!!
それはそう。万博のパビリオン予約だって全部落ちたじゃないか。ラッキーでないとチケットはとれないんだよ。
来月あたまの先行予約がラストチャンス。なんとか射止めて上京したい。
わたしは風の憧憬と魔王決戦とサラのテーマが聴きたいんだ。

長らく使ってないアプリやサイトの会員サービスを解除したり退会したりした。
一年使ってなきゃ十中八九もう使わん! と急に思いたったのだった。
必要なものを厳選したら半分くらい減った。
無駄は豊か。だけど身を重たくする。
なんとなくそんなことを感じたのだった。

あすけんをはじめてから調子がいい。
減った体重もキープできているし、書くことが戒めとなって無駄に腹いっぱい食べる癖が抑えられている。
飽食は豊かさの象徴だけど体を重たくしてしまうんだなあ。
病気にならない程度の過食だったから余計にたちが悪かったよね。
間食が激減したのはいい傾向。
だけどいつか息苦しくなる日が来るだろうから、休みの日は好きなものを食べていいのと、なにか嫌なことやストレスに感じることがあったらひとつ間食してもいいことにしている。
あと、旅行やイベントで出かけたときはカロリーのことを考えない。
人生おおいに楽しむために生きているから。

今週末は母と旅行をする。
その準備をいろいろとやっていた。
万博へ連れて行ってからというもの、母は外へ出て見聞を広めたいという気持ちが強くなったみたい。
一緒に行ったときに並ぶのをあきらめたイタリア館の展示が大阪市立美術館にくるというので、がんばって来場予約をとった。
美術館でまさかの来場予約。まるでまだ万博会場にいるかのようだ……。
ランチの予約もした。
旅先へ向かう前にあべのハルカスをぶらついたりする予定だ。これも母の希望。
わたしはずっとこういう親孝行がしたかった。
これまでは本人に外へ出る気がなかったからあんまりできなかった。
だけどそれは母自身に余裕がなく、疲れていて、遊ぶすべを知らなかったからだ。
ならわたしが前で導けばいい。一緒に外へ出てくれるのならなんだってする。
お互いに歳をとって、今やっと、こういうことをできるのが嬉しい。

 

 

おもしろいってなんだ。そんなあなたがおもしろい。「ウリッコ」

comic-days.com

いまいちばんおもしろい、つづきが出たらめっちゃ嬉しい漫画。
ネカフェでウリやってる女の子がある日突然ひらめいて、生きるためにマンガを描く。
そんなことがあるのか。
あるのかもしれない。
人生、案外なにがあってどう転んでいくかはわからないものだ。

この主人公、とにかく強い。
「失うものが何もないから」みたいな言い方はあんまりしたくない。
持ち込んだものを一蹴されて、街にも建物にも拒まれた気分になってキレたり傷ついたりもするんだけど、そのつど「こいつら、みんなころしたる」の精神で挑んでいく。
わたしはそんな殺伐としたもの正直読みたくなかったはず。
なのに妙に引き込まれるのだ。話が更新されるたびに引き戻される。
おもしろい、おもしろいぞ。人間・星野キズミ。

自分や人の話からの引き出しがいよいよ枯渇したキズミはネタづくりのため映画を観ることに思い当たる。
映画といえば一大エンタメで、エンタメの主流は恋愛だ。
恋愛か。やっぱり。
「人の恋愛に興味ない。夢中になれるの気持ち悪い。」
一刀両断。
しかし彼女は春を売っている。
性は恋愛にもつながる。
が興味ないという。しかしエンタメは恋愛が中心だ。漫画だってエンタメだ。
まあそういう小難しいことは置いといて「ここ」にめちゃくちゃ共感してしまった。
ああああぁ、そうそうそう! 人の恋愛興味ないねん!
なんでみんなあんな夢中になれるんかわからんわ!
「ここ」で心を完全に掴まれたといえよう。
まあそれは置いといて、恋愛が自分事じゃないから彼女は「売れる」のだろう。本当に「稼ぐ手段」でしかないから無味なのだ。いいか悪いかは別として。それにそのうち「そっち」をやめる未来が見えてきている。たぶん。

今度ひらめいたのは「顔面が強い」元女性いま男性のヤクザもの。
「嘘や秘密はおもしろい」。彼女が新たに得た知見だった。
うんおもしろそう。劇中劇がおもしろい漫画はテッパンだ。劇中劇もそのうち読みたい。
プロットを書き、映画のように映像を思い浮かべながら頭の中で流す。次にやるのは、それを絵におこすことだ。
ここが本当の正念場と思われる。
描くのって難しいよね。
きっと彼女はこれから「古びた商店街」を描くために外をうろうろするだろう。スケッチもするだろうし、写真も撮るだろう。
資料を見ながら描こうとして「しぬほどむずい」「むり」ってなるところまで想像できる。
わたしはそれを読んで愉快になりたい。
ここをどうやって乗り越えていくのかに立ち合いたい。

「ころしたる」「しね」とばかり言ってきた人が、「何もしてきてない」人生に超倍速で世界を採り入れながら、自らの手で何かを生み出そうとしている。
これを「おもしろい」と言わずして何としようか。

 

 

 

 

バリアを薄める

丁寧語と遠慮と建前ができない、やらない人に苦手意識がずっとある。

ですます、いえいえ、どうぞどうぞ。

見えない安心バリアだ。

わたしは人付き合いと人間のやりかたがとても下手なので、これまで万事それで何とかやってきた。何とかなってきた。

なので、そうじゃない接し方をされるとガーン!とバリアをぶち破って素手で心臓を触られてるような気分になって、恐怖すら感じる。どう接したらいいんだろうって。

でもそういう人ってなんか強いよな、人間として。

だから怖いのかも。わたしは弱いから。

異国の人とか。価値観が違いすぎてて。最近職場に入ってきたんだけど、これまでも一緒に仕事する機会が何度かあったけど、やっぱりうまく接することができないでいる。

めちゃくちゃ気を遣ってる。優しいんじゃない、怖いから何重にもバリアを張ってるだけ。

客観的にみても自分は得体の知れない嫌なやつだと思う。

なのになぜか嫌われてはないみたい。昔からそうだ。ガーン!とバリアを破ってくる人から妙に懐かれる。

バリアが効かない。張ってても意味がない。向こうにそういう概念がないんだもの。

どうしたもんかねえ。

なんだかバリアを張るのにも疲れてきた。そらそうだ、けっこうMPを使うのだ。

こっちばっかりすり減るぞ。感じ方と受け方を変えないと。

もしかしなくても、人間って、案外怖くないのかもなあ。そう思おうとするところから始めてみようかなあ、まずは。

人付き合いにバリアはぜったいに必要だけれど、もうちょっと薄くったっていいのかもしれない。わたしの場合は特に。