くらしのうみ

書くのが好きな人の、たいしたことない大事な日々と人生。

再読、ポトスライムの舟

www.kodansha.co.jp

 

たしか三十代前半くらいのときにいちど読んだ。軽妙な関西弁と奈良を舞台とした親しみやすい物語で、かなり気に入っていた。
なのでずっと本棚で眠っていたこの本を無性に今読みたくなり、一気に読みかえした。

化粧品容器の製造工場でライン作業に従事しているナガセは二十九歳独身で、母親とふたり暮らし。
新卒で入った会社をモラルハラスメントで退職した経験がある。当時の交際相手もかばってくれなかったようだ。
そうした理由もあって、未来や人生への漠然とした不安からか暇や隙間の時間を嫌い、いくつかの副業をぎゅうぎゅうにつめこむことで忙しく生きる彼女は「子もいない、結婚もしていない自分がなんのために生きるのか」「生きるためのコストはなんて高いんだろう」「生きるためだけの労働と暮らしに意味はあるのか」と常に自問自答している。
ラインで仕事してたら同じこと延々と考えるし、自分の思考にどんどんとらわれる。めちゃくちゃわかる。

ナガセと同年代の頃にこの話を読んだとき、「ああ、人が生きるためにはささやかな喜びや楽しみがなければ、人は人たりえないのだなあ」という感想にとどまったのだけど、今はちょっと変わった。
これはまさに今、現代社会でひとり生きる女性たちのための物語だ。
十数年前の作品。著者はものすごい先見の明がある。
男性と出会って恋愛して結婚して子を産み育てて生きていくのが正しく安全でふつうの生き方だとしても、「私はそれより母親と暮らすボロ屋の改修をしたい」と率直に願うナガセ。
一昔前、そういう願いは異端で、風変わりで、偏屈で、憚られるものだった。
いろんな生き方が赦されるようになった今にだって根強く残っている。
それでも「誰のための暮らしか、なんのために働き生きるのか」を問うたら「自分」と「自分の大事な人やもの」で、そこに恋愛や結婚が入り込んでこなかった女性はずっと前からもいただろう。
だから、これは私だ。「四十路」を得た私がずっと考えてきたことが、この本の中にぜんぶ書いてある。
ナガセよりも歳を重ねた私はもう答えを知っているつもりで、家族を大事にし、自分のご機嫌をとってきた。
にもかかわらず「これでいいのか」と今も迷うのである。三十前のナガセと同じように。

「これでいいのだ。」
背中を押された。
いや、背中を押されたくて、背中を押してくれるとわかっていたから、この本を手にとった。
人生に正解ルートはない。人の数と同じだけ分岐がある。それだけのこと。
生きることと働くことは直結している。だけど人は生きるためだけに働き、働くためだけに生きていると、いつかどこかで壊れる。
壊れるとは、自分を見失うことだ。
自分を肯定できなくなり、どこへも行けなくなる。
自分を赦せなくなり、何もできなくなる。
ナガセは風邪をこじらせて仕事を休んだことで自分を取り戻す。
世界一周の船旅に彼女は出るだろうか。
必ずしも出なくたっていいのだ。「その気になればいつでも何でもできる」と思えることこそが、人生における喜びや楽しみに他ならないのだから。

 

 

www.d3b.jp