くらしのうみ

書くのが好きな人の、たいしたことない大事な日々と人生。

そして夜が明けた

ブエルタ・ア・エスパーニャの最終日は突然の幕切れとなった。
暴徒と化した親パレスチナのデモ隊がバリケードを破ってコースに押し寄せたのだ。
現地の機動隊では収拾がつかず、安全を考慮して第21ステージは中断。表彰式も行われないこととなった。
サイクルロードレースは公道を借りるという特性を持った競技で、人々の暮らしとは密接な関わりがある。
なので道で起こることも世界で起こっていることも、そこで抗議をする権利だって、ファンとして否定はしない。旗は振ればいいと思う。
だけど、暴力だけは絶対に肯定できない。
虐げられているからといって権利をふりかざし他者を傷つけていいなんて言い分は間違っている。
誰かが傷つく行為に大義も正義もあるわけがない。
スポーツと政治は切り離せない、だからしょうがない、なんて言いたくないし思いたくもない。
だめなものはだめで、見る側がだめだと言うことも思うこともあきらめてしまえばほんとうに世界の終わりがはじまってしまう。
ライブ中継は打ち切られ、これまでのレースダイジェストが流れはじめた。ありがたかった。
白熱した三週間だった。だからこそ命と人生を懸けて臨んできた選手たちを想うとやりきれない。
最後のハイライトを見ながら「世界は美しいなあ」と心から思った。
だけどそう思えるのは見えているところが美しいからであって……
わたしだって間違っているだろう。知らないこと、見えていないものもあるだろう。だから信じられるものを信じるだけ。そのために誰か何かを否定したり傷つけようなんて思わない。
できることなんて、それしかないんじゃないのか。
夜はもうすぐ明けようというのに眠れなかった。
選手たちが自主的に、夜の駐車場で即席の表彰式を執り行ったことを今朝のタイムラインで知った。
誰もが笑顔だった。幸せそうで、楽しそうだった。だからこそさまざまな感情がつきまとう。
彼らが笑っているのだから、怒りや悲しみにとらわれまい。
わたしは三週間ずっと見ていたから覚えている。忘れない。
彼らの過程も結果も、功績も、輝きも、絶対に忘れない。

 

朝から銭湯へ。
広い湯船が恋しかった。
ていねいに頭と体を洗い、ぬる湯、あつ湯、水風呂、外気浴の順に何度かまわる。
だけどもおかしい。いつもと違う。
癒されるが、どうにも体がしんどい。お湯が疲れる。
ブエルタを午前三時まで観てからしばらく寝つけなかったので無理もない。
早めに切りあげて、マクドでアイスコーヒーを飲みながらSNSを眺めたり文章を書いたりした。頭は冴えているのに集中できない。
やっぱりしんどさがある。ごまかせない。毎日やっている家ヨガは休むことにした。

 

昨日の文学フリマのことも考えていた。
ものを書くことと、書かれたものを読むことをずっと考えていた。
人に関心を持とう。人と関わろう。億劫にするのも、怖がることも、少しずつやめていこう。
でなければほんとうに伝えたいことなど心の内からは生まれてこない。人に伝えたいことなんてわからないまま。人に読んでもらえる文章なんて書けっこない。
あまたある情熱に触れていちばん強く感じたことだった。

 

しんどいな。だけど楽しい。
今だっていろんなことを考えている。
やりたいことがある。見たいものもある。
わたしには好きなものがある。
憂鬱な夜が明けても、今日は昨日のつづきで、新しいけれど終わりじゃなくて、くりかえし生活はつづいていく。
きついけど、苦しんで楽しみながら、これをやっていくんだ。