くらしのうみ

書くのが好きな人の、たいしたことない大事な日々と人生。

たまには、よっぱらいのつぶやき

なんとなく毎日書いてるブログ。きょうは休もうかと思いながら、とりあえずはてブの「書くページ」を開いてみた。

いつもはメモ帳で書いたのを貼りつけて更新するのだけど、メモ帳に向かってても何も出てこないから「直接打ち込んでみよう」となった。

 

書けない日はもちろんある。

晩ごはんが数ヶ月ぶりのサムギョプサルで、チューハイを飲んだからかもしれない。

ほどよく酒に酔うようになった。若いころは浴びるほど飲んでも平気だったのに。

豚も鶏も焼き、サンチュとえごまの葉のかわりにレタスと大葉で肉を巻く。コチュジャンともうひとつ、カルディのもへじの塩だれもつけて食べる。

はたしてこれはほんとうにサムギョプサルだろうか?

都合よくアレンジしすぎじゃないか?

いいのだ。みんな「サムギョプサルうまいうまい」といってるんだから、食べてるものが何ものだろうと別にかまわないのだ。

 

肉も葉っぱも平らげたら、私には片づけが待っている。だから焼肉はちょっとだけ憂鬱だ。

ほんとうは外に食べに行きたいのだけど、出不精の家族が渋るからなかなかそれもかなわない。

食器と脂ぎったホットプレートを洗いながらUAEツアーを観る。

いつの日か現地でサイクルロードレースを観戦してみたいな。行ってみたい国が、観てみたいレースが山ほどある。

大好きで幸せだ。スポーツは「きのう、きょう、あした」を生きる楽しみをくれる。

この情熱はつづくだろうか。

競馬場へは情熱のつづくかぎり通いたおしたけど、情熱がなくなって、信念と信頼が揺らいでからは二度と行ける気がしなくなった。

あんなかたちで好きなものから離れるなんて夢にも思わなかった。

だけど人生にはあるのだ。自分の根底を覆すような、思いもよらない、あとからふりかえれば節目だったねといえることが。

後悔はない。感謝している。

他人から見ればきっと痛々しくも熱かったあの日々が、いまの私を創ったのだから。

 

競馬への情熱と執着を手放して、私は少し大人になった。

いまは野球とも自転車ともいいつきあいができている。

前の私を知る人にとってはつまらない人になったのだろうなと思う。だけど私は素性も知らない誰かに認められるために生きてるわけじゃない。

自分のために自分の人生を生きることを、趣味と居場所を手放してからの私は手探りでやりなおしている。

 

風呂で小一時間溺れる。

半身浴をしながら書いている。

明日もう一日仕事がある。ちょっとでも汗と油は流しておきたい。