連休がはじまったらキッチンを片づけると決めていた。
ごはんを母と分担するようになってから、キッチンの使いづらさと片づいてなさを強く実感するようになった。
使いやすいものは手前に置きっぱなし、あんまり使わないものは奥で散らかりっぱなし。
ずっと気になっていた。「うちのキッチンは綺麗じゃない」と。
ちゃんとしたら、気にならなくなる。
がぜんやる気がわいてきた。
新しい勤め先近くのショッピングモールにニトリと無印良品が入っていたのをきっかけに、眠っていた「工夫好き」の血が目覚めたというわけ。
いくつか収納雑貨を買った。棚とかボックスとかラックとか。
店舗とオンラインショップで見ているうちに「こうしたい」とアイデアが次から次へと降ってきた。
もともとある調理道具でいらないものや重複しているものは捨てて、要るもので古くなったものや不便なものは買い替えた。
片づける収納スペースはシンク下とコンロ下。
入っているものをぜんぶ出して、綺麗に拭いて、そこから収まりそうなレイアウトを考えながら、実際にものを収めていく。
事前に寸法を測っていたとおり、届いた棚もラックもぴたりと収まった。まさにシンデレラフィット。
鍋、ざる、フライパン、調理器具、調味料、掃除用具と洗剤類、ペーパーやネットなど消耗品……
どんどん新しい居場所が決まっていく。
心が躍る。
暮らしを工夫するのが好き。
ずっと考え感じていた「これがここにあったほうが炊事しやすいだろうな」を自らの手とアイデアで叶えていく。
朝からとりかかって、お昼前にリフォームは終わった。
嬉しくて何度も戸棚を開けて確認してしまう。
何度見ても、何もかも直感的に取り出せるよう配置したからきっとすぐに慣れるだろう。
母はちょっと前から帰省中。
帰ってきたらちょっと驚くだろう。
だいたい私は連休中にこういう大掃除をするから今回もなんとなく察しているような気がする。
母は、とても几帳面で綺麗好きな人だった。
歳を重ねるごとに、いきすぎた潔癖症気味な部分は薄れていって、だけど明らかに家の荒れや不便には頓着をしないようになっていった。
歳をとれば人は丸くなる。
赦せなかったことも「これくらい、いいや」って赦せるようになる。
歳をとって丸くなって、母は適度に力を抜いて生きるようになった。
今はとても楽になったように見える。
私たちきょうだいが子どもの頃の母は、いつも焦ってイライラして怒っていた。
父と離婚してからは女手ひとつで働きながら子育てをしていた。お金も暇もなかった。ほんとうに大変だったのだ。
だけど「綺麗」へのこだわりを持ちつづけていたから、いつもピリピリしていた。
あの頃の母と同じ年頃になった今よくわかる。
私はこの人生で夫も子どもも持たなかったから、子の立場でしか見えないけれど。
同性の人間として、物事ついた頃から母と共闘してきたからこそ見えるものもある。
だから今の母に「ちゃんとしてほしい」とは思わないし、口が裂けても言わない。
ここに出戻って二度目の同居がはじまった瞬間にバトンタッチをしたのだ。
これから私が、母がしてくれたことを返していけばいい。
なぜなら私はここを終の住処と決めたから。
もっとも人生何があるかはわからないから、もしかしたら数年のあいだくらい家を出るかもしれないし、終の住処が外にできるかもしれないから「何がなんでも」と断言はできないけれど。
今の気持ちとしては、こう。