休日のマスクをやめた。
もちろん病院や公共の屋内で用事があるときはその限りではないけれど。そこらへふつうに出かけるときはもうやめることにした。念のため持ち歩きはする。
仕事では装着が義務になっているから、平日の朝は顎にかけて家を出る。
エレベーターで誰かと乗りあうときはちゃんと鼻と口をおおう。
それ以外はもういいかな、と今年に入ってから感じるようになった。
遅いのかな。早いのかな。よくわからない。
けれど軽くて爽快だ。前の世界はこれがあたりまえだったんだ。すっかり忘れていた。
まだ引っかかりはするものの、頃合いだったんだと思うことにする。
買い物へ行った。
無印のカフェでレモンチーズケーキとジンジャーエールに舌鼓を打った。

夏がくるんだなあ。
その前に梅雨だ。
梅雨が明けたらいよいよ母と万博へ行く。ツール・ド・フランスの真っ最中でもある。プロ野球のオールスターもぼちぼちはじまる頃合いだ。
夏はいつでも、楽しいものたちを連れてくる。
夏を楽しむために梅雨を乗り越えようじゃないか。
ごはんのおともを作った。
大葉のピリ辛にんにく漬け、梅びしお。
晩酌をする母と弟に、晩ごはんのときも米を食べてほしい。
母は少し食べるけど、眠たくなったら食べずに寝る。朝起きたら食べるからこっちはいいんだ。
問題は弟のほう。下手したら三食のうちひと粒も食べない。
先日「お米食べろ」と病院で怒られたと言っていた。
松岡修造か、と心の中でちょっと笑った。
だけど不摂生でカリカリに痩せた中年男に不調を訴えられたら、そりゃあ誰でも怒る。
「丼ものなら食う」と彼は言うが、毎食どんぶりを作れるほど我が家には米も金もない。
なので、せいいっぱいのごはんのおともなのである。
それにしても米を食わずジャンクフードを食らう生活をしていたにもかかわらずまったく太らないなんてずるい。
私なんか、すべての食べものがおいしすぎて、寄る年波には勝てずここ一、二年で体型が変わったというのに。
いや、太れないというのは病気みたいなものだ。それにはそれなりの苦しみがあるのだ。
だから、まずは「お米食べろ」。
このところ「書く意味あるのかなあ」という思いにとらわれていた。
こんなことになんの意味があるというのか。
楽しくもなんともない、なんの誰の役にも立たない内容。
文学フリマが楽しそうだな、と思う。
出す人も読む人もみんないきいきとしている。
想像してみる。
もしも自分が本を出すならば、という妄想はつづかない。
日記本を作れるほどのクオリティもないし、自分ならではのネタもない。
そもそも本を作るだけの情熱がもう私の中にない。
淋しいが、悲しくはない。
もともとなかったんだねえ。歳をとってようやく気づいた。
ものを作れるって、とてもすごい才能だよ。誰にでもあるわけじゃない。
私はいままで二次創作や小説を書きながら、天才の真似ごとをしていたんだと思う。
楽しい時間だった。だけどかたちにはならなかった。
唯一つづいているのがブログだ。
これに意味はあるのか。
他人にとってはない。私にとってはある。
少なくとも、自分自身をどうにかしてくれている。
それだけで充分じゃないか。